bokiwokangaeruのブログ

複式簿記と読書と日本酒についての備忘録です

ウィトゲンシュタイン 最初の一歩

 

ウィトゲンシュタイン最初の一歩  中村 昇(著)

【感想】
ウィトゲンシュタインに関する本で、個人的に一番読みやすかった。できるだけ簡単に伝えようとする意思が伝わってくる。伝記的記載はほとんどなく、著者の理解、読み解いたものが易しい言葉で語られている。お薦めです

【まとめ】
■「世界の存在」はそこに否応なくある。厳然と問答無用に。我々は全面的に驚嘆することしかできない
■「私という存在」も同じ。それ以外のいかなるあり方も、どんな可能性も選ぶことなどできない、絶対的なもの
■その私が使う「言葉という存在」。我々がどうこうしようとしても、一切かかわることができないように隔絶して存在

■「死」は、この世界で経験し、その経験を他人と共有することができない
■誰も死について、本当のことを語ることができない

■論理について語るとは、自動車を運転しながら、その車の構造をばらばらにしているようなもの。絶対に無理
■梯子のようなもので、それを使って上に登ったら(世界や言語を理解したら)、捨てなければならない

■もし言葉がなければ、われわれの周りは、どこまで行っても切れ目のない混沌としたものになる
■言葉をもったのは、進化史のなかの巨大な一歩
■ライオンが話し始めても、人間には決して通じない
■その言葉は、ライオンの生活と深く複雑に結びついているから
言語ゲームは「生活形式」

■子供が魂をもっているかは決して分からない
■私達と同じような振舞をすれば、私達と同じ存在だと日々確認していくだけ
■おおむね私達と同じような振舞をする存在になる
■それは、我々の営んでいる言語ゲームに参加する資格を有するということ

■普段の会話に意思は介在しない
■どんどん話題は変化し、口だけで対応してしていく
■もし意思によってあらゆる行為がなされているとしたら、さらにその背後に意思が必要
■無限にさかのぼって、最初の意思にたどり着かなくてはいけなくなる
■行為そのものが、背後には何も引き連れずにいきなり登場する。それが、我々の行為のあり方

デカルトの「方法的懐疑」。なんでも疑おうというプロジェクト。それへの反論
■私自身の「確かな知覚」がなければ、私の「錯覚」は生まれない
■何かを疑うには、そのための基盤が必要
■疑うためには一定量の「信じる」という行為が必要
■疑うためには疑っていない足場がどうしても必要
■自分の知覚を信じること、その知覚は他人と同じだと受け入れること等
■赤ちゃんや小さい子供は、何でも鵜呑みにする。純粋な受容
■一定の受容期間があり、それをもとにして疑うことを始める
■疑いの絶対に届かない場所にある文を蝶番命題という
■それ自身が疑われることのない岩盤であり、言語活動の土台
■私はウィトゲンシュタインである、地球ははるか以前から存在していた等
■地球は5分前に誕生したと言い出したら、共同体の言語ゲームへの参加資格を失う
■蝶番がそうでなくなることもある。科学革命・パラダイムシフト等
■決して疑うことのできない知識を、自分の意識の底に地層のように重ねていく

■この世界は「存在」に満ち溢れていて、「存在」の否定状態がないのに、「存在とは何か」と問うても、答えはでない
■無意味だとわかっていても、我々は言語の限界に対して突進する衝動をもっている
■「存在とは何か」と問うても答えは出ないが、この突進する衝動ををもっている限り、問い続けることは仕方のないことであり、人間の根源的宿痾である